2012年10月26日金曜日

7階建の寮

保税区に隣接する居住区の7階建の寮

シャッターを押すきっかけは、洗濯物の多さだったのだが、今改めて見るといろいろ見えてくる。まず 一階は 商店となっている、裏側なので閑散としている。
洗濯物の多さは、一室の居住者が4〜6名と聞けば納得できる、特に5〜7階は量が多いが、多分女子寮になっていると思われる。男子寮は3〜 4階、2階は住み込みの管理人や管理職が住んでいるのだろう。

手前の赤土は道路の工事中、何もない荒地に突然寮が建てられ、入居が始まる。住人は荒地の中の踏み跡を通って職場に通う、 雨の時などはぬかるみや水溜りが出来て大変なのだ。一年以上経過してから、やっと道路工事が始まる 。それが半年過ぎてもまだ終わらない。これが中国式? 最も肝心の保税区自体もガラガラで3割程度しか埋まっていないから長期的な視野で考えなければならないのかもしれない。

2012年10月21日日曜日

保税区のテレビ

スーパーでサービスにテレビを見せている


保税区に隣接する居住区には会社の寮になっているアパートが建てられていて、そのほとんどが5~6階の建物で一階部分は商店になっている。

商店の種類はスーパー(雑貨屋)、果物屋、食堂、郵便局、床屋、写真屋、携帯電話サービス所、パソコンスクール、などとりあえず生活するのに必要な店は揃っているが内容は決して充実しているわけではない。

床屋は普通の部屋の壁に鏡が付いているだけ、椅子は何処にでもある折りたたみ椅子でハサミや櫛はテーブルの様な台に置いてある。
郵便局は正式な郵便局員がいるわけでは無く、夫婦で資格を取った個人商店なのだ。アメリカにハガキを出そうとしたら、値段がわからないので、珠海の郵便局まで行ってくれと言われてしまった。
写真屋に至っては殺風景な部屋の壁に白い紙が画鋲でとめてあり、三脚に取り付けられたカメラと、質素なテーブルだけ。それでもお客はいるようだ。

写真はスーパー(雑貨屋)がサービスのためテレビを見せている。
寮の居住者たちはテレビなど持っていないので、夕涼みがてらテレビを見るために集まってくる。
この店で私はノート、蚊取り線香、ビールなどを購入した。

2012年10月19日金曜日

保税区に引っ越す

保税区北門の朝、工員達の退勤と出勤
北門の位置から見た居住区



職場が珠海の保税区に引っ越して間も無く、私は宿泊先のホテルから保税区(※)にある社員寮に引っ越した。ホテルと言っても珠海の繁華街にある高級ホテルなどは重要取引先のお客とか取締役クラスでなければあてがって貰えず、辺鄙な場所にあるビジネスホテルのような宿だったので不便でしょうがなかったのだ。

 寮は保税区に隣接する居住区にあった。居住区には保税区にある会社の寮がいくつも建てられている。大抵は5階だてぐらいで各階とも細かい部屋に分かれ、各部屋には5人ぐらいでが割り当てられている。
建物の一階部分は、店舗になっていて、雑貨屋、郵便局、食堂、果物屋などがあり、居住者が生活上必要な品物はここで購入する事が出来る。 
また近くの農家のお祖父さんんやお祖母さんだろう、路上に店を広げ、バナナやピーナッツを売っていたりする。
地方から出稼ぎに来ている工員さん達は、寮で生活する事になる、
おそらくこの居住区に住んでいる日本人は私一人だったと思う。



 ※ <保税区について簡単に説明する>
中国の自由化路線に沿って計画された方式で
中国の制度の中で、外国企業が活動する事はいろいろ困難な問題が発生する。それを回避する為に考え出された方法  。

海外と保税区の間に出入りする貨物には関税や消費税が免除される
したがって輸入する部品はすべて保税区内で使用し保税区外に転売は出来ない
また完成した製品はすべて海外に輸出し、中国国内に転売は出来ない。

そのため広大な地域を柵で囲って自由に物品が出入り出来ないようにする。
(珠海保税区の場合東西3Km 南北2Km 程度の広さ)
労働力は保税区に隣接して作られた居住区の労働者が保税区内の工場に毎日通勤する。